「ミキサー完備・スタジオ貸します」に出演

音楽事象

高校時代、平日の夜になると、決まって部屋の明かりを落とし、小さなトランジスタラジオのボリュームをそっと上げていました。
ダイヤルを合わせる先は、いつも同じ「ABCヤングリクエスト」。
関西の若者に絶大な人気を誇ったそのラジオ番組は、最新のヒット曲やリスナーからのハガキリクエストが飛び交う、私にとってまさに“音楽の窓”のような存在でした。
テスト勉強に追われる退屈な日常も、あのオープニングジングルが流れるだけで、一気に色鮮やかな世界に切り替わったのを覚えています。

数あるコーナーの中でも、ひときわ輝きを放っていたのが「ミキサー完備・スタジオ貸します」という企画でした。
プロ用のミキサー完備のスタジオを丸ごとアマチュアバンドに開放し、放送局のエンジニアが本気で音作りをしてくれる―そんな夢のような企画を、毎週食い入るように聴いていました。
担当は、あのキダ・タローさん。
テレビのテーマ曲でもおなじみの作曲家が、ラジオ越しにアマチュアバンドの演奏を笑い交じりに紹介しながらも、時に鋭く、時に温かいコメントを添える。その丁寧で愛のある言葉から、「この人は本気で若いバンドを応援してくれているんや」と、子ども心にも伝わってきました。

当時、僕もクラスメイトと組んだアマチュアバンドでドラムを担当していて、放課後になると、教室や友人の家の一角で、汗だくになりながら音を出していました。
安いギターアンプから鳴る歪んだ音も、叩くたびチューニングの狂うドラムセットも、その頃の僕らには宝物でしたが、ラジオの向こう側で鳴る音とは、どうしても次元が違うように感じていました。
「あの『ミキサー完備・スタジオ貸します』のコーナーに出られたら、うちのバンドの音も、あんなふうに立体的に聴こえるんやろか」。そんな妄想を抱きながら、放送に耳を澄ませていたのです。

ある日、番組内で「次回出演のアマチュアバンドを募集します」という告知が流れました。
条件は、オリジナル曲でもコピーでもOK、年齢は高校生以上。応募は音源と簡単なプロフィールを添えて―という、ごくシンプルなものでした。
最初は「どうせ無理だろう」と笑っていた僕らでしたが、気づけば部室にカセットデッキを持ち込み、一発録りのデモテープを作っていました。
「送るだけタダやしな」と半分冗談交じりで、封筒に詰め込んだ音源とバンド紹介の文章。ポストに投函したあの瞬間、心のどこかでほんの少しだけ、「もしかしたら」という期待が芽生えていたのかもしれません。

それから数週間後、学校から帰ると、テーブルの上に一通の封書が置かれていました。
差出人の欄には「ABCラジオ」の文字。指先が一気に冷たくなり、心臓の鼓動が早くなるのを感じました。
震える手で封を切ると、「ABCヤングリクエスト『ミキサー完備・スタジオ貸します』出演ご案内」というタイトルが目に飛び込んできました。
「採用」その一言を目にした瞬間、息が詰まるような衝撃と、身体の奥底から湧き上がる喜びが一気に押し寄せてきました。

すぐにメンバーに電話をかけまくり、次の日に教室で封書を机に広げ、何度も何度も読み返しながら、まるでプロになったかのような気分で舞い上がっていました。
「本当に俺らがラジオに出るんやな」「キダ・タローに会えるんやで」と、興奮した声が止まりませんでした。
あのときの、全員の顔が少し紅潮していて、やたらと早口になっていた光景は、今でも鮮明に思い出せます。

そして迎えた収録当日。指定された時間よりもかなり早く、僕らは朝日放送のビルの前に到着してしまいました。
普段はテレビでしか見たことのない局のロゴが入った建物を目の前にして、「中にはどんなスタジオが広がっているんだろう」と、期待と緊張がせめぎ合います。
受付を済ませ、案内された廊下を進むと、壁にはこれまでのラジオ番組やパーソナリティのポスターが所狭しと貼られていました。
その一枚一枚が、テレビ画面の向こう側にあった「放送の世界」が、急に手の届く距離に近づいてきたことを実感させてくれました。

スタジオ前に到着すると、目の前に分厚い防音扉がそびえ立っていました。
金属製の取っ手を握りしめ、そっと押し開けた瞬間、ひんやりとした空気と、独特の静けさが僕らを包み込みました。
中に足を踏み入れると、壁一面に貼られた防音パネルが目に飛び込んできます。
床には整然と吸音マットが敷かれ、余計な反射音を吸い込んでいるのが、一歩踏み出すごとに感覚として伝わってきました。

コントロールルーム側には、大型のミキサー卓が鎮座していました。
フェーダーやツマミがずらりと並ぶその光景は、まるで飛行機のコックピットのようで、上部には小さなランプ類が点々と瞬き、ラジオ番組の“心臓”がここで鼓動しているのだと教えてくれました。
「ミキサー完備」という言葉は、ただの宣伝文句ではなく、本物のプロ仕様という意味だったのだと、そのとき初めて実感しました。

ブースの中を見渡すと、奥には背の高い黒いギターアンプが置かれていました。
普段、学校の音楽室で使っているくたびれたアンプとは、存在感からして別物で、ケーブルを差し込み、恐る恐るコードを鳴らしてみると、スピーカーから返ってきたのは、驚くほどクリアで立体感のある音でした。
今まで練習で鳴らしていたのと同じはずのギターなのに、高音のきらめきやピッキングノイズの細部までが、くっきりと浮かび上がってきます。
「ギターアンプ一つで、こんなにも世界が変わる!」と、思わず息を呑みました。

ドラムブースに目をやると、そこには整然と組まれたドラムセットがありました。
よく見ると、ライド・シンバルがなぜか一枚だけという、少し変わったセットアップでしたが、スネアの張り具合もバスドラムのミュートも、実にタイトに調整されています。
スティックで軽く試し打ちしてみると、「パンッ」と乾いた中にも芯のある音が響き、スタジオ特有のクリアな残響が心地よく広がりました。
ハイハットのペダルも絶妙な遊び具合で、踏み込むたびにしっかりとした手応えが返ってきます。
私は「これ、めちゃくちゃ叩きやすい」と、にやけ顔を隠しきれていませんでした。

一通りセッティングを終えると、エンジニアの方がガラス越しにこちらを見ながら、「ちょっと音出してみて」と合図をくれました。
僕らは簡単なフレーズやリズムパターンを合わせてみます。
すると、ブース内に置かれたモニタースピーカーから、これまで聞いたことのないほどバランスの取れた、自分たちの音が返ってきました。
ギター、ベース、ドラム、そして全体の空気感までもが、一つの塊になって耳に届く感覚。「スタジオって、こういう場所なんや」と、身体の奥から鳥肌が立つような感動を覚えました。

リハーサルを終え、サウンドチェックも無事に済んだ頃、スタジオにキダ・タローさんが姿を現しました。
テレビで見慣れた柔和な笑顔そのままに、気さくな関西弁で「おお、君らが今日のバンドか。緊張してるか?」と声をかけてくれました。
こちらがガチガチに固まっていると、「ラジオ番組なんてな、楽しんだもん勝ちやで。ミスしてもええから、元気にやりや」と軽く笑わせ、空気をほぐしてくれます。
その一言で、肩に入っていた力がふっと抜けました。

やがて本番直前。ガラス越しに見えるエンジニアが、ミキサー卓のフェーダーを軽く動かしながら、親指を立てて「行けるよ」と合図してくれます。
スタジオの赤い「ON AIR」のランプが点滅を始め、緊張感が一気に高まります。
「3、2、1、オンエアー」というディレクターのカウントが響き、その瞬間、僕らは生放送のラジオ番組の中へと放り出されました。

オープニングのトークで、キダ・タローさんが僕らのバンド名や学校名、音楽のルーツなどを軽妙に紹介してくれます。
その言葉の一つひとつが、スピーカーを通してどこかの部屋や車の中に届いているのだと思うと、不思議な高揚感と照れくささが入り混じりました。
そしていよいよ、演奏の時間。僕らが選んだ曲は、寺内タケシとバニーズの名曲「ある晴れた日に」。
インストナンバーならではの疾走感とメロディアスさが魅力で、高校生なりに何度もコピーを重ねてきた一曲でした。

曲が始まり、アンプから溢れるクリアなギターのトーンに背中を押されて、私もドラムのリズムを刻み始め、イントロでベースがほんの一瞬だけ音程を外してしまいましたが、それさえも生放送のスリルの一部に思えるほど、フィーリングは最高でした。
スタジオのドラムセットのレスポンスは、叩いた瞬間に音が前へ飛び出してくる感覚があり、終始気持ちが良かったのを覚えています。

「さすが、放送局のスタジオやな」と心の中で呟きながら、あっという間に曲のラストまで辿り着きました。
最後のキメを全員でばっちり揃えて音を切った瞬間、ブースの外から小さな拍手と、エンジニアの「OK!」という声が聞こえてきました。
ヘッドフォン越しに、キダ・タローさんの笑い混じりの感想が返ってきて、「ええやん、青春してる音や」と言われたときには、胸の奥がじんわり熱くなりました。

演奏後のトークコーナーでは、キダ・タローさんからフレージングやバンド全体のバランスについて、具体的なアドバイスをもらいました。
「ギターは、もうちょっと歌うところと引くところのメリハリをつけたら、ぐっとプロっぽくなるで」とか、目から鱗の指摘でした。
単に褒めるだけではなく、未来に向けて伸びるためのヒントをくれるその姿勢に、「この人は本当に音楽が好きなんや」とあらためて感じました。

収録が終わった後も、スタジオの片隅でスタッフと音作りの話に花を咲かせました。
マイクの立て方一つでドラムセットの鳴り方が変わること、ギターアンプの位置や角度が音の抜けに影響すること、ラジオ番組では言葉だけでなく“音そのもの”がリスナーへのメッセージになることーそれまで考えたこともなかった視点を、プロの現場は次々と教えてくれました。
スタジオという空間が、ただ音を録る場所ではなく、音楽と人が出会うための“舞台”なのだと気づいた瞬間でもありました。

朝日放送のビルを出て駅へ向かう帰り道、耳の奥には、まだあのスタジオの残響が残っていて、「今この瞬間も、録音された自分たちの音がどこかで再放送されるかもしれない」と思うと、不思議な誇らしさで胸がいっぱいになりました。
「ラジオの向こう側で、自分たちの音が鳴っていた」という実感は、家路につく夜の空気を、いつもより少しだけ澄んだものに感じさせてくれました。

翌日、学校に行くと、すでにクラスメイトの間ではちょっとした噂になっていました。
「昨日ラジオ聴いたで」「お前ら、意外とちゃんとしてたやん」と冷やかされる一方で、普段は音楽にあまり興味を示さない友人まで「自分の知り合いがラジオに出るって、なんかすごいな」と目を丸くしていました。教師の中にもこっそり聴いていた人がいたようで、「勉強よりバンドを頑張ってんな」と冗談めかして声をかけられたりもしました。

あのとき、「ABCヤングリクエスト」というラジオ番組の中で、「ミキサー完備・スタジオ貸します」のコーナーに出演した経験は、単なる一度きりの思い出では終わりませんでした。
放送局のスタジオで、プロ仕様のドラムセットやギターアンプに触れ、キダ・タローさんやスタッフの方々から音楽の本質に触れるような話を聞いたことで、「音を鳴らすこと」と「音を届けること」は別の次元であり、その両方を意識してこそ、音楽は誰かの心に届くのだと学んだからです。

あの夜の緊張と興奮、ヘッドフォンから返ってきた自分たちの音の生々しさ、そして生放送のラジオ番組という“見えない観客”に向かって演奏した不思議な感覚。
すべてが積み重なって、今の僕の音楽観を形作る、大切な1ページになりました。
もし、あのとき軽い気持ちで応募ハガキを出していなかったらー。
そう考えるたびに、あのABCラジオのスタジオで過ごした数時間の重みを、あらためて噛みしめずにはいられません。
 

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